ベトナムってどんな国?
皆さんはベトナムについてどれだけ知っていますか?
ベトナムについてよく知らない人でも、「フォー」「パクチー」「アオザイ」「ベトナム戦争」というワードを一度は聞いたことがあるだろう。
これまでベトナムに関わりがなかった人にとっても、実は身近なベトナム。
最近では、コンビニに行けばカタカナの名前の名札を付けている店員、夕方の工場から集団で出てくる外国人労働者。
均等に盛り付けがされているコンビニのお弁当、ネットで注文した商品が翌日届く物流サービス。私たち日本人が快適で便利な生活を送ることができる社会の舞台裏にも大きく貢献しているベトナム人。
彼らは、少子高齢化で人手不足が深刻な日本にとって重要な働き手である。
これまでODA(政府開発援助)により、ベトナム国内の空港や橋、メトロや学校建設などで援助を行ってきた恩返しを我々にしてくれていると捉えることもできるかもしれない。
今回のこの記事では、「歴史的」「文化的」「政治的」「社会的」「人的交流」にも日本と関わりが深いベトナムについて紹介する。
ベトナムに日本橋?
東京ではオフィスが集まるビジネス街と知られる日本橋(にほんばし)。大阪ではアニメグッズや電化製品の店が集まるディープな街として知られる日本橋(にっぽんばし)。
ベトナムにも日本橋があることをご存知だろうか。
遡ること約450年以上前の1535年、日本や明(みん)、ポルトガルなど各国との貿易で栄えたホイアン(クアンナム省)に移住した日本人によって日本橋(別名=来遠橋)は架けられ、当時の日本人町と中華街を結んでいた。
また、米粉でつくられた麺と、豚肉やレタスなどの野菜に、甘い醤油ダレに絡めて食べるカオラウは、当時移住していた日本人が伝来した伊勢うどんがルーツと言われ、今ではホイアン名物の一つとして知られている。
戦争が終わったのは45年前?
当時南北に分断されていたベトナムで、北の社会主義(北ベトナム)と、南の民主主義(南ベトナム)の間で勃発した、冷戦下の代理戦争(ソ連 vs アメリカ)とも言われるベトナム戦争は、1954年から1975年の20年の長きに渡って続いた。北の勝利でこの戦争が終焉したのは、わずか45年前のことである。
470メートルの高層ビルがそびえ立ち、街には海外ブランドも数多く立ち並ぶなど、ベトナムで一番の経済都市となった南部のホーチミン市でさえ、今でも戦争時代に使われたであろう戦車やヘリコプターが至るところに残されている。
また、ベトナム旅行でベトナムの歴史を学ぶ観光スポットとして、悲惨な記録が展示されている戦争博物館や、当時の南ベトナム時代に大統領府として使用された旧統一会堂の見学がツアーに組み込まれている。
公式訪問先に選ばれたベトナム
内閣総理大臣が就任すると、夕方のニュースで「就任後初めての首脳外交として、米国大統領と電話会談を行った」と報じられているのを見たことがある人も多いだろう。
しかし、2012年に政権を奪還した安倍晋三、コロナ禍の2020年に就任した菅義偉が初めての外国訪問先に選んだ国はベトナムであった。さらには、2021年に就任した現職の岸田首相が就任後初めて招いた外国首脳が、ベトナムのファム・ミン・チン首相(Pham Minh Chinh)であった。
2016年には、当時の安倍首相が伊勢志摩サミットのアウトリーチ会合にベトナムを招き、それはベトナムにとって初めてのG7への参加となった。
その翌年にベトナム中部のダナンで開催された、APECダナン首脳会議では、ベトナムの要請に基づき安倍首相が共同議長を務めた。
日本と同じく中国との領有権問題を抱えるベトナムにとって、積極的な国際社会への参加は必至で、多くの経済的利益を共有する両国の関係強化は欠かせないことを表している。
さらには、天皇皇后両陛下(現上皇)が2017年にベトナムを訪問し、2019年の退位前最後の国際親善訪問先となった。
訪問先の中部フエでは、ベトナム独立運動の指導者で日本とも関係が深いファン・ボイ・チャウ(1867年 - 1940年)の記念館を視察された。
まとめ
1973年に日本とベトナムが国交を樹立してから今年で50年周年を迎える。
日本とベトナムが築いてきた両国関係が、今日の私たちの生活にさまざまな影響を与え、変化する国際社会において欠かせない存在になったことは言うまでもない。
次回、ベトナムの首都、ハノイについてご紹介したいと思います。
それでは、good luck!
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